得意なことと自分の可能性

最近

「これならできるだろうなー」

って自身の能力の適正や可能性がなんとなくわかってて、それに沿った行動をすることが多いんだけど、

10年くらい前って「何ができるかわからないから、とりあえずやるぞ(うおー)」だったなと。

それがあっての今なので、全然悪くはない。無駄がなくなったとように思う。よく言えば洗練されたのかもしれない。ただ、それと引き換えに何かをなくしたように感じる。

そう思ったとき、可能性を狭めているのは自分自身なのかもしれないな、と。

なんでもそうなんだけど、得意なものがあって、しかもそれだけで生きていくのに事足りるのであれば、どうしてもそれだけで終わってしまうことが多い。

だって、無駄だから。周りより上手くできるものがあって、それで生きていけるなら、他のことをあえてやる必要はない。

右利きの人があえて左手で何かするのと感覚は似ている。世の中が右利き対応が多数で、自身も右利きならあえて左手を使って何かする必要もない。

だけどそこで、あえて左手を右手並に使えるようになったら。多分右手だけ使える人より格段に何かの可能性は上がる。

そしてそれは自分の世界を広げることになるんだろう。

自分が「これならできる❗️」って思えるものができたように思えたけど、それだけをやってると世界が小さくなるんだなって。

私が飽き性なのもあるだろうけどw

ある程度は「できる」ようになるんだけど、本当の意味で「できる」のかっていう。上には上がいるし、理想を突き詰めればキリがない。そしてそれが結構しんどかったりする。

そういう意味では、自身の得意なことは得意なこととして利用しつつ、何か新しいことをやってみるっていうのは、自分の可能性というか、世界を広げることにきっとなるんだね。

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